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青葉区随想 1462018/12/14
NO.146 昭和52年を考察する

 現在、県議会第3回定例会が行われているが、立憲民主系会派と共産党の代表質問において、偶然と言おうか、昭和52年9月27日の米軍機墜落事故が質問の中で取り上げられていた。
 この事故は、厚木基地を飛び立った米軍ファントム偵察機がエンジン火災を起こし、横浜市青葉区(旧緑区)の住宅地に墜落、乗員2名がパラシュートで脱出した一方で、母子3名が亡くなった大惨事である。
 両会派の議員は、米軍機事故の顕著な事例としてその墜落事故を挙げ、本会議場スクリーンに当時の現場写真を映しながら、米軍機の事故防止対策等についてそれぞれ知事に質問をしていた。
 この質問自体を私は批判するつもりは全くない。が、ここで、共産党の議員が、被害者であり火傷跡が残る(故)和枝さんの写真を公開したことに、私は怒りを禁じ得なかった。和枝さんの遺族の方に何の許可も取らず、ただ故人を自分達の都合のいいように政治利用するというやり方は人権侵害ではないのか、と私は思う。
 ところで、昭和52年には他にも実に様々な事件が起きた。この墜落事故の翌日、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件が発生。当時の福田赳夫首相は「一人の生命は地球より重い」と述べ、超法規的措置で身代金を支払い、収監メンバーを犯人に引き渡した。正に、日本がテロに屈した日であった。その後、10月13日にはルフトハンザ航空機ハイジャック事件が発生するが、西ドイツは日本とは対照的にテロに屈せず、特殊部隊を強行突入させ解決に至っている。
 そして、11月15日、新潟で横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致される。日本がテロにさえ屈していなければ、横田めぐみさんは拉致されなかったかもしれない。また、当時、朝鮮学校の校長らが日本人拉致に関与していたことが判明しているが、皮肉なことに神奈川県は昭和52年から朝鮮学校に補助金交付を始めた。
 昭和52年をリセットできれば、平成の時代は随分違ったかもしれない。

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